He that fears death lives not.
只では転ばない。 失なったものも大きかったが得たものも大きかった檜原湖戦だった。 TOP50第4戦福島県檜原湖でのトーナメントが閉幕した。今回の試合が年間5位への最後の望みを賭けた試合であり、何としても5位入賞が絶対条件だったが。しかし、結果は14位。年間順位は最終戦を残し暫定30位から20位へと上がったものの、最終戦に優勝したとしてもシングル入賞が限界、もはや5位には届く可能性はなくなった。 ここ3年守り続けて来たノルマである年間5位以内と、棄権の1回を除いて連続出場してきたエリート5への出場が途切れた。さすがに応援してくれて来たファンの皆さんの期待に応えられなかった落胆と、目標を失った失望感は言葉にならない程大きい。 しかし、決定的な致命傷となった開幕戦と第3戦霞北浦戦も、決して手も足も出なかった訳ではない。むしろ、両戦とも優勝を強く意識する程、強い手応えを掴んでいたがゆえに、異常気象とも言える今季の極端な季節感のズレを本番で軌道修正できなかった事が最大の敗因だと考えている。独創的で強力なパターンをプリプラで掴んでしまったがゆえに、その甘い呪縛と記憶を2週間後の試合本番で捨てきれなかった、最も初歩的で致命的失態である。 ある意味、今試合初日の精神崩壊、壊れっぷりがトーナメントの本当の姿かも・・・・ 今年は黒帯RFはお蔵入りかもしれませんが。 過去3年、トップ5に甘んじて来た悔しさから、「年間1位」、「優勝」に拘る想いが強くなりすぎていた今季、「今を釣る」事を忘れ、自分の思い描いたプランを強引に押し通そうとしていたように思う。練習が絶不調だった2戦、4戦目が遥かにマシな結果だった事がそれを裏付けている。 ただ、一つだけ救いがあるとすれば、それは過去最低級の順位となった開幕戦も第3戦も、守りに行ってこけたのではなく、共に思いっきり突っ込んで前のめりに顔面から転んだ事だろう。もう一歩更に踏み込めていたならば、結果はどう転んだか解らない。今年はここからもう一歩踏み込む勇気を学び、ガチガチに強張った体を一度緩めて、仕切り直しをする年なのかもしれない。 檜原湖戦で最終戦に望みをつなげた馬淵。 社会性には問題アリアリだが、30年に一人の逸材を確信させた一戦だった。 2日目驚愕のトップウエイト、決勝2位、総合準優勝の立役者、馬淵のシークレットだったロデオライドS61LFFと アンクルゴビーイモ仕様。決勝では更なるチューンを果たしていた。詳細はTSRで公開。 さて、敗戦の結果等、さほど興味はないかもしれない。しかし、この1戦は自分にとって価値ある1戦となった。「あと一歩踏み込む勇気」、その意味が少しは伝わるかもしれないので敢えて詳しく詳細を書いてみたい。 今回の檜原湖戦はちょっとしたドクターストップで練習が過去最短となる4日間しかできなかったため、正直なところ、全域を完璧にこなす練習をする事は出来なかった。直前2日間の練習でも、バスを釣る事自体はさほど難しいとは感じなかったが、何よりも檜原湖のスモールがもはや野尻湖に匹敵するほどの大型化している事実に困惑した。公式練習の結果解った事は、ほんの数年前までは毎日3日間2500gを超えれば表彰台だった檜原湖が、毎日3500g前後を釣ってこなければ上位に食い込めないという衝撃的事実だった。 昨年も初日、2日目と3キロを超えた選手が約15人もいた事に驚愕させられたが、今年は「最低」でも2日連続3キロを釣らなければ予選すら通過できない程だった。裏を返せば、5尾2900gなら誰にも釣れるが、それは試合的にはノーフィッシュとなんら変わらなく、3000gを超えて初めて試合が始まると言う事なのである。この3キロとは琵琶湖の3尾5キロに相当するレベルである。 僅か100gの差が致命的な順位差となる。 檜原湖の500g以下はもうゼロに等しい。 この檜原湖のハイウェイト化が、自分の中である決断をさせた。それはおそらく今年以外では出来なかった自分にとっては初めての大きな決断だった。もう年間での勝ち目がないからの試合を捨てた選択と思われても仕方はないが、「身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ」という諺がある様に、本番でどん底に落ちる覚悟をしてでも挑まねば身につかない経験がある。 それは、ここ5年、檜原湖での上位陣は確実に最北部のフラットエリア「早稲沢」から出ており、何もない浜の沖、8m前後の泥のフラットに群がるワカサギ付きのバスを船団戦で釣り勝つ事は安定して表彰台に乗るための絶対条件になっていた。もはや早稲沢フラット・ワカサギ船団戦を攻略できなければ、端から勝負にならないのが今の檜原湖なのだ。 ご存じの通り、自分はフラット船団戦のライトリグが最も苦手な選手の一人だ。性格的に船団で群れる事、そして見た目のスポーツさに欠ける超ライトリグが最も苦手で、苦手ゆえに嫌悪し、批判する事でそこから目をそむけてきた。しかし、現代のTOP50の若手の船団戦の強さこそが、旧世代のベテラン勢との最も大きな力量差である事は明白であり、その船団戦での力量差が今の若手の最たる武器になっていた事もまた事実なのである。 自分はそれ故に、この船団戦、超ライトリグ軍団に正面から挑むリスクを避け、別の方法で船団を負かすことを目標に勝負を繰り返して来た。最高カテゴリーがここで開催されて以来、一度も試合本番で早稲沢フラット船団戦に挑む事はなかった。 酷い時は全選手の半分近くが早稲沢フラットで船団と化す事がある。 釣る人と釣れない人の差が嫌という程はっきり出るのも船団の特徴だ。(写真はスタート風景の早稲沢です。) しかし、プリプラでは明確な勝負パターンを掴む余裕がなく、公式練習で解った事実は早稲沢フラットのワカサギに付くスモールが明らかに、確実に他の如何なるエリアよりも圧倒的に大きく、数もケタ違いである事だった。 それは誰にも解る事実であり、裏を返せばもはや早稲沢フラット船団を得意とする若手には、「3キロ越えは容易い」と言う現実なのである。如何に檜原湖全域を必死に駆けずり回り、超ピンスポットを何か所も撃ち抜いても、シャローでギリギリの勝負をしても、ここ数年、そこに早稲沢フラットのバスを加えなければ、表彰台に届かないのが現実なのだ。事実自分は2度の優勝経験を持つ得意とされた檜原湖で、ここ数年表彰台は7位前後に低迷している。 自分が今試合で初めて腹を括った決断とは、この早稲沢フラット船団に3日間、敢えて挑む無謀な挑戦だった。 20年間、幾度か試合中に挑む事はあったが、一度たりとも釣り勝てず、火だるまにされて逃げ出してしまった早稲沢フラット。ここで釣り勝つ術を身につけるためには、一度死ぬ気で1試合を犠牲にする覚悟がなければ絶対に見えてこないと以前から思っていた。 それも練習試合などではなく、最高カテゴリーの超本気の船団の中に、死ぬ気で身を投じ初めて見えてくるものだと思っていた。 しかし、絶対に外せない年間を争うトレイルの最中にそれをする事は余りにもリスクが高かった。今季、年間を捨てたと思われても仕方ないが、それでも今しなければ、絶対にこの壁は越えられないと思ったからこそ、今試合を高い授業料と考え、その対価として早稲沢船団のスペシャリストたちの釣りを穴があくまで一部始終観察し、何かを得るためその中に捨て身を置く決意をした。 何もない早稲沢フラット。船団の端で初めて3日間を過ごした。この選択には別の事情も実はあった。 その授業料は確かに高すぎたかもしれない。結果的に自分は今季の年間上位の可能性を決定的に失う結果になった。 初日、案の定、朝から怒涛の入れ食いを見せつけられ、コテンパンに火達磨にされた揚句、完全に精神崩壊…。耐えきれず昼前に早稲沢船団を逃げ出し、本来のピン打ちで残りカスを拾い、僅かに3キロは超えたものの29位と出遅れ。この時点で上位入賞は消えた。 それでも2日目、ひるまず再び朝一から早稲沢軍団に死に物狂いで挑み、今度は運よく?朝一奇跡のラッシュ、周りを一時火達磨にし、朝の9時までにグッドサイズ4尾で約2700gをキャッチ。遂に船団を克服したかに見えたが、そこからが船団の真の恐怖だった。 4尾目以降、実に5時間、1尾もキャッチできず、再び周りの超入れ食いに逆火達磨状態…。あっという間に逆転され、再び精神崩壊を起こし船団から逃走…やっとの想いで午後2時に5尾目を450gを他所で釣り約3100gとするも、もはや手遅れ…。この日、自分のキャッチは僅か5尾、その後の早稲沢船団組は延々入れ食いで、20尾近く釣る選手もいたほどだった。しかし、最初のグッドサイズ4尾おかげで予選は20位で通過した。裏を返せばこの4尾を早々に釣りながら活かせなかった自分は最低だと、心底落ち込んでしまった。 何かを得るためには、授業料を無駄にしないためには、もう決勝は何があっても最後まで早稲沢船団でやるしかなかった。この土壇場の窮地に追い込まれて、遂に、初めて自分は腹が括れたのだと思う。 予選は20位で通過。短時間戦の決勝、賞金圏内に入るには最低でも3キロ越えが必要だった。 そして運命の決勝、丸2日間火達磨になりながらも、様々な船団での釣り方を凝視し学び、吐き気すら催す悔しさの中、のた打ち回って挑み続けた早稲沢沖フラット船団。三たび、そこに挑んだ。 もうこの試合も、そしてトレイルも、ここで死んでもいいと本気腹を括れた時、初めて何かが見えて来た。周りが全く気にならない。3日目、完全に身を捨て、全てを捨て切れた時、初めて早稲沢で「浮かぶ瀬」に流れ着いた。そこは極限の集中力の中でたどり着ける、別名「ZONE」と呼ばれる場所だった。 一番厳しい短時間勝負の決勝、遂にこのフラットの釣り方の核心に気付く事ができた。淡々と、2日目までが嘘の様にグッドサイズが釣れ続く。スポットや場所に関係なく、完全に中層のワカサギの群れに付くバスの釣り方、喰わせ方を理解した。リグはただのダウンショット。やっている事は3日間同じ見えるが、宙を釣る操作の意図とアプローチが実は全く違っていた。長らく忘れていた、それ以上に嫌悪すらしていたダウンショットの感覚が蘇った。 結果的に尻あがりに3日間連続3キロを超えた。 予選、早稲沢から逃げなければ、あと200gあれば、結果は大きく違っていただろう。 3290g決勝単日7位、早稲沢船団組では数、ウェイトとも初めてトップとなる結果となった。 最終総合14位。可もなく不可もない平凡な結果。この結果を持って自分の2013年間トレイルは事実上、終わった。 しかし、最終日決勝、自分が一試合を捨てて得た初めての結果と経験は、恐れずに、さらに一歩踏み込む勇気と共に、今後の自分の新しい大きな自信と経験になってくれると信じたい。 He that fears death lives not. |