TOP50第4戦桧原湖戦閉幕の巻
TOP50第4戦桧原湖。 いろいろな意味で選手達それぞれの岐路となる試合となった。 2008年度TOP50シリーズ第4戦桧原湖。最終戦を控えこの第4戦は毎年特別な意味を持つ。それは選手たちにとって来期残留を賭けた明暗の分岐点ともいえる試合だからだ。 今期1年ぶりの復帰を果たした私にとっても、想像以上だった体力の衰えと気力の衰弱から、2戦終了時点で総合38位と自力残留の30位以内すら厳しいかつてない苦しい戦いが続いていた。ようやく第3戦野尻湖戦で復調の手ごたえを掴むことができたのもつかの間、再び突然襲った椎間板性腰痛の再発で、気合十分で迎えるはずだった第4戦はプリプラ断念、1尾のキーパーすら触れずという最悪の事態に陥った。 同じ再発でもまだもう一つの病魔の再発よりはよっぽどマシだが、それでも私がプリプラを僅か3日で途中断念するなど今まででは考えられないことだった。それほど物理的に椎間板が明確に変成し発症した痛みは、人格を失わせ心すらも折りかねない激痛だった。 今でこそ言えるが、この桧原湖戦に出場できなかった場合、今までの苦しみから心折れ現役引退を決意していたかもしれない。
まさに最前線復帰への意志の強さを試されるかのような試練となった第4戦桧原湖、この桧原湖戦は過去幾度も運命めいた岐路に立つことが多い。自分にとってここは選択の地とも言える不思議な場所でもある。
そして本戦、結果から言ってしまえば目標と公言していたシングル入賞こそ果たせなかったが、予選初日20位、2日目17位、そして決勝では単日9位の成績で総合12位となった。この結果は野尻湖戦16位同様、一般的にも、かつての自分的にも好成績と呼べるものではないが、この25日間に亘る激痛との戦いに克って尻上がりに順位を上げれた事は自分自身、最悪の中の最善だったと言ってもいいと思う。
朝起きあがるのに2時間以上を要し、風呂に入る時すらコルセットを外せず、ボルタレンを限界まで飲み試合時には全身テーピングとコルセット2枚締めというまさに過去最悪に近い状態だった。この試練を堪え切り、驚異的な伸びを見せる20代の若手達を相手に、この状態でも12位に入れた意味は技術的にも精神的にも大きな価値があった。そして年間順位もついに23位まで上昇、エリート5への選出権利が獲得出来る年間総合20位まで最終戦を前にあと数ポイント差となった。
今、技術的にも、メンタル的にも、そして試合勘も確実に戻りつつある手ごたえを強く感じる。今の上位陣が手の届かないほど遠く、もはや敵いそうもなく見えた前半戦から、体調さえ万全に仕上がれば確実にオーバーテイクできる自信が戻りつつある。そういった意味でも今回の桧原湖戦の窮地克服は、また一回り精神的な強さが鍛えられた気がする。 決して今も体調は回復したわけではない。オフシーズンには再び大がかりな手術を受けるかどうかの判断を迫られるだろう。しかし、次の目標であるTOP50最終戦九州遠賀川戦お立ち台、そして今年の最終目標としたエリートファイブ選出、2度目の優勝まで、決して心折れることなく、意地でも身体をもたせる覚悟はしている。 相変わらず最後の最後までジタバタあがきまくって大人げない気もするが、それが自分らしさなのだろう。辛いけど仕方なくやっているのではない。結局、やりたくて、やりたくて仕方がないからやっているのだ。
最後に今回の試合に関し、痛みから人格崩壊寸前だった私の我儘を最後まで聞いていただき、全力でイマカツTOPチームをサポートし続けてくれた湯流里の女将さんとスタッフに感謝したい。
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